好評をいただいてる「守口市名所旧跡案内」。
今回は、守口市浜町にある「守口宿一里塚跡」を紹介します。
守口宿一里塚跡
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一里塚は街道の両側一里ごとにその目印として設けられ、普通遠方からも見えやすくするためその上に榎の木を植え、旅人の便をはかった。
起源は明らかではないが、慶長九年(1604)徳川秀忠が東海、東山、北陸の諸街道を修理したとき、このような一里塚を築かせたという。
この一里塚は守口への入り口でもあり、出口でもあった。
そして、これは旅人の守口への目印で、同様な塚がこの向かい側にも存在した。
この一里塚がいつ設けられたかも明らかではない、しかし、おそらく守口が大阪夏の陣の翌年元和二年(1616)に宿場になってからのことであろう。
この付近は、守口宿の「上の見附」にあたり、大名が宿泊したり通過する時は、問屋や庄屋などの宿役人や村役人が、麻上下(あさかみしも)などを着用してこの一里塚まで送迎していました。
【守口宿一里塚跡】
住所:守口市浜町2丁目7-9
ひとこと
小さくて分かりづらいのですが、京阪国道の浜町の信号(ブランド品の買取店「キングラム守口店」の信号)を北に50mくらい入った左手にあります。